移動の最中も目に入ってくるのは各地から集められてくる
被災の残骸・・・。
なんと23年分もの廃棄物が今回の震災で発生したそうです。
移動の最中には仮設住宅が(走行中のため画像荒くてすいません。)
ベースキャンプの近くでもある七ヶ浜に到着。
この辺りは仙台港も近く、被災前は海苔の漁場として栄えて
いた土地だったそうです。ですが・・・、
生々しく被災の傷跡があちこちに残っていました。
この上下↑↓の写真の緑の部分やコンクリートだけの部分には
もともとすべて住宅が建っていました。
今回の被災で建物のほとんどが損傷を受けたために
建て替えるか住み替えるかの選択を迫られたそうです。
政府からも決断の期間が延びれば延びるほどに解体費用の
個人負担の可能性も出てきますとの通達もされた地元の皆さんは
やむなく既存建物の復旧よりもとにかく解体を決断されたそうです。
もちろん住民の皆さんの中には建物の復旧を始めている方もいらっしゃいました。
全体の1/30位でしたが・・・。
海岸縁を歩いていると様々な残骸が見れました。
車や廃材、漁船に生活雑貨・・・。
それらを少しづつ集めては片づけていく地元漁師の皆さん。
徐々にですが漁も再開していっているとの事でした。
そんな時に堤防で腰かけていた地元の人らしき
おじさんが気さくに声をかけてくれました。
聞くと地元の漁師さんらしく色々なお話を聞くことができました。
実はこのおじさんも今回の津波でご自宅を失っており、
現在はこちらにお住まいとの事でした↓
船の中はきれいに整頓されて1人で住むには十分な環境でした。
よく見ると左奥に↑仮設トイレもあります。
おじさんも以前は仮設住宅に住んでいたそうですが、
海苔漁というのは普通の漁と違って1日に何度か漁に出るために
海際に住んでいないと手間がかかって仕方がない。
仮設住宅もここから車で10分程度のところだが
海を目の前にして暮らしてきた自分たちからすると
その距離も苦痛で仕方がない。
しかし、もう一度海際に住むために家を建て替えても
跡継ぎもいないしお金もない。
本当に先が見えない。
改めて献金で作業ができる今回の事業の必要性を感じました。
契約概要、作業内容、作業環境と確認できた私達は最後に
大工方や担当者の宿泊施設の視察に向かいました。
七ヶ浜から車で5分くらい高台に向けて走ると宿舎となる
コテージがありました。
ここは仙台港からも近く、地震も津波も受けましたが
地盤が強固な岩壁になっており、津波の被害はなく、
地震の揺れを受けただけでした。
ビックリしたのは建物の中には明治時代に建てられたものも
たくさんあるとの事でした↓(築約120年)
全体では約50~60もの同規模のコテージがあり、
きれいにリノベーションされているものもあります♪
内装もきれいに修繕、管理がされておりビックリしました
(お話をうけた当初はテント生活になると聞いていましたので
大工方、社員の体調管理の面でも本当にうれしかったです。)
大工方やその他の関係者にも説明する為に
内装撮影の許可をいただいたので少しご紹介いたします。
各コテージにはリビングスペースやソファー等が設置
TVも用意してくれていました。
作業終了後は帰舎してここでみんなで談笑しているそうです。
(でも宿舎内および敷地内は禁酒・禁煙です)
設備機器も充実♪
厨房施設①
厨房施設②
洗面室
トイレ
シャワー室
振り分けられるコテージによってグレードに差はあるそうですが
大体同じような感じです。
部屋はといいますと、
小部屋は2段ベットで2人1部屋、
大部屋は2段ベットで4人1部屋となっていて、
各部屋にはそれぞれデスクが割り当てられていました。
小物やPCは持込みだそうです。
数ヶ月にわたる長期間、
大工方、弊社社員、SPの皆さんが作業を共にして疲れた
心身を休める宿舎。
正直、テント生活では心身ともに1ヵ月持つかどうかと思っていました。
ですが、SPの皆さんの配慮によって用意していただいた
宿舎を拝見いたしましてかなり安心いたしました。
私自身がいくならテントでもなんでも耐えれる自信はあります。
そもそも自分から行きますと志願しての結果ですから。
しかし、今回は人員も不足しているところに参加を募って
集めなければいけませんし、企業としての請負いですので
労働環境や労災、体調への配慮も必要になります。
盆明けに説明会を開いてどれだけの方々に賛同いただけるか。
1人でも多くの方に賛同、参加いただけるように
今回見てきた被災地と被災者の皆様の現状をお伝えしたいと思います。
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